【調査】国際的な視点で見た日本のキッズダンスについて

ブレイクダンスが2024年パリオリンピック種目に

国際オリンピック委員会は、パリ大会での開催都市追加種目としてブレイクダンスの採用を決定しました。ブレイクダンスは、2018年ブラジルで開催された14~18歳を対象としたユースオリンピックで、既に正式種目として採用されています。文化として発展してきたブレイクダンスがスポーツとして認められることになり、今後も多くの人の関心が高まることでしょう。

なぜ、ブレイクダンスがオリンピック種目に選ばれたのか考えてみたいと思います。まず、開催国のフランスはブレイクダンスの強豪国でありブレイクダンス人気が高いことは誰もが認めることです。世界的にもブレイクダンスなどのダンス人口は増加していますし、若者のオリンピック離れがささやかれる中、人気と話題性は重要なポイントになるだろうと考えられます。

もう一つの理由は、ブレイクダンスの歴史にあるのではないかと思います。簡単にブレイクダンスについてご紹介します。ブレイクダンスは、1970年代にニューヨークの若者文化が発展し、ストリートダンスとして定着したものです。『ストリートギャング同士による縄張り争いなどに向けられていたパワーを闘争ではなく音楽で勝負するという考えで、向き合って踊るBATTLEが生まれました』(日本ダンススポーツ連盟より一部改変)。

オリンピックのシンボルである5つの輪は平和の発展を願ってのものですから、ブレイクダンスの「闘争ではなく音楽で勝負する」という反戦平和の精神はオリンピック精神と重なり合うと思います。このことがオリンピック種目にブレイクダンスを採用されることに大きく貢献したのではないかと考えます。

キッズダンサーが活躍する場 

子どもから大人までダンス人口が600万人ともいわれるようになった現在。ダンス教室や学校教育の中でダンスを学ぶキッズが増え、国内外のコンクールやイベントに参加することでレベルは引き上げられています。ステージは、ライブでのバックダンサー、ミュージカルとさまざまな機会があります。

キッズダンスといえば、ヒップホップやブレイクダンスなどのストリート系を思い浮かべますが、バックダンサーやミュージカルではジャズダンス、タップダンス、ステージダンスといった多種多様なダンスを披露するキッズダンサーも少なくありません。

それから、多くのキッズダンサーにとって最近のビッグニュースは、2020年3月19日にアテネのパナシナイコスタジアムで行われる聖火引継ぎ式に、キッズダンサー約150名の出演が決まったことではないでしょうか。

しかし残念ながら、世界的な新型コロナウイルス感染状況の中、このパフォーマンスは中止になってしまいました。東京2020文化パート監督を務めるEXILE HIRO氏は、『子どもたちのダンスレベルは世界のトップクラス。スキルの高さも表現したい』とコメントしていました(日刊ゲンダイ2019.11.12)。それまでの努力と喜びも辛さも、子ども達のキッズダンス魂の糧となるよう願って止みません。

世界の頂点!国際的な活躍を見せるキッズ

日本ダンススポーツ連盟は、世界の頂点に立つ男女2人を強化選手に選びました。その2人の選手をご紹介します。一人めは、2018年にブエノスアイレス・ユースオリンピックで、女子個人と男女混合で金メダルを獲得した、当時17歳の河合来夢選手(BGirl Ram)。2018年は、世界ユースブレイキン選手権でも優勝しています。

ダンスを始めたのは母親の勧めで5歳の時でした。人見知りが強く人前が苦手だったそうで、ダンスのおかげで強気な内面を出せるようになったとか。中学生から海外に出るようになり、高校生になると世界大会のチームメンバーに選ばれるなど、ずばぬけた能力が認められるようになりました。

二人めの半井重幸選手(BBoy Shigekix)は、当時16歳の時に河合選手と同じく2018年のブエノスアイレス・ユースオリンピックで、銅メダル、 世界ユースブレイキン選手権で優勝しています。

半井選手は、姉(世界で活躍する現役ダンサー)の影響で7歳からダンスを始めました。その実力は小学生時代に世界から注目されていました。2014年にChelles Battle Pro 2014で優勝すると、2015年には世界最大級のブレイクダンス大会THE NOTORIOUS IBEで優勝するなど、世界の頂点としての数々の経歴をもって日本のブレイクダンス界を牽引しています。

どんな時も夢を持って!

小さな子どもは大きくなったら…という夢を抱くようになります。幼児期の将来の夢に関する研究によると、4歳では夢は願えば叶うと思う段階で、5歳ころから夢を叶えるには条件があることに気づくようになります。6歳では「練習すれば」「いっぱい勉強すれば」などと努力などの内面の変化に注目できるようになるそうです(幼児期における「将来の夢」と空想/現実の区別意識.富田昌平.幼年教育研究年報.2004)。

先ほど紹介した河合選手は、10歳でコンクールを予選落ちした時に世界を目指したいと思ったそうです。半井選手は、姉に憧れて上手くなりたいと思ってダンスを続けていたそうです。2人の夢や願望は、一見して抽象的な表現ではありますが、日々の努力でその抽象度を上げていったのではないでしょうか。きっと周囲の人もそれを否定せず応援してくれたのでしょう。

キッズダンサーの皆さんも、辛い時や悲しい時に自分自身が進むべき道に迷いが出たら、夢を思い出して欲しい! 夢は実現することに意味があるのではなく、実現しようとしてきた過程に自分本来の姿があり、個性や特性に気づいていけるのだと思います。だから、どんな時も夢を忘れずに持ち続けて欲しいものです。

聴覚障害のダンサー「クリストファー・フォンセカ」

クリストファー・フォンセカというダンサーがHEAPSで紹介されていました。彼は2歳の時に病気で聴覚を完全に失ってしまいました。片耳に人工内耳を装着して手話でコミュニケーションをとっているそうです。12歳でブレイクダンスに出会い、一旦ダンスから離れますが、大学で再開してからスキルを磨きダンス指導についても学びました。現在は、振付師と指導者としても活躍しています。

聴覚を失うことは音楽が聴こえないこと。だから、彼は空気の振動からビートを感じることから始め、いかに感じ取るかを工夫していきます。他の人よりも何倍もの時間と労力を使って技の一つひとつを習得していったのでしょう。

彼の言葉で非常に印象的だったのは、「いつも心のどこかで、夢を追うのはいつからでもいいじゃん?って思ってた。」「やらないのにできないって、なんでわかる?」。彼の言葉から、自分を知り、自分を信頼しながら夢の中に現実が表れてくるのだと感じました。

最後に

日本のキッズダンスは国際的な評価が高く、日本国内での認知度も上がってきて、学べる環境が整ってきています。スーパーキッズをはじめとした活躍しているダンサーや身近な人に憧れて目標にするのもいいでしょう。どのようなきっかけでダンスを始めたとしても、まずは音楽に合わせて身体を動かすことが好き、友達と一緒が楽しいということが重要ですね。

子どもにはキレキレの動きは難しいのではないかと思われがちですが、音楽にピタッと動きがはまる感覚は、小さな子どもでも味わうことができます。そういう経験をたくさん積み重ねることで、リズム感やバランス感覚が自然と身について、さらに難しいチャレンジができるようになっていくでしょう。

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